天地創造の神 [ビジネス]
天地創造の神は確かに存在するか。
我らがこの地球は、広遠な宇宙空間に浮いている。支えいるものはない。自転をしながら太陽の周りを公転する。南北の地軸の傾きは23.5度で、季節の移り変わりに密接に関わっているという。
24時間周期で回転する地球、時速10万キロのスピードで太陽の周りを回る。遊園地の回転遊技台に乗れば、遠心力は感じるが、地球上の人間は、遠心力も回転も、そのスピードも感じない。
何故なのだろうか。 この「何故」は解明されていないと聞く。神の領域なのであろう。
人間をはじめ生物の驚異の仕組みを作ったのも、天地創造の神であろうか。 アポロ計画で宇宙より帰還した飛行士たちは、神の存在を確信したという。
地軸と季節の変化
神の創った命に磨きをかける日本人が、先人たちから受け継いできだ特質があるという。
「真面目さ、正確さ、早さ、責任感」、この特質がビジネスにおいて、世界の信頼を得ている、と言うのは、
グローバル企業、日揮グループ代表 重久吉弘氏である。入社以来60年余り、常に時代を見つめ、次に進むべき道を模索してきたと言う。
この人間力で、世界の国際舞台でプラント事業を展開してきた日揮。
「砂漠のボス」、「砂漠の太陽」と慕われる、高橋直夫、日揮のプラント建設現場所長は、「誰よりも、できると信じる」という強い信念を持ち続けてきたと言う。
日揮には、さまざまな国の社員がいる。国境もない。労働組合もない。社員、経営者、現場技術者、一体のグローバル企業である。
仕事柄、 重久吉弘代表は、安倍首相のトップセールスに同行し、数々の世界の要人との交渉の場に立ち会ってきた。間近に見る安倍首相の交渉力、話術は一級品であるとも言う。
日揮、アルジェリア人質事件に寄せて、曽野綾子氏、『砂漠・この神の土地』からの引用記事がある。
曽野綾子氏の「透明な歳月の光」 砂漠という「神の土地」~サハラ縦断の思い出~(産経新聞1月30日)
2013/1/30(水) 午前 8:50
『10人の日揮の社員らが犠牲になったアルジェリアの南東部に、私は行ったことがないのだが、たやすく想像はできる。もう30年も前の話だが、私はサハラをラリーではなく縦断したからだ。
2台の国産の四輪駆動車で、アルジェリアの南部のレガンヌの村からサハラ砂漠に入るとき、私は話に聞いたことのある 「入水して死ぬ」人を思い出していた。
自殺しようとして海に入っていく人と同じに、自動車は舗装道路を突如として離れると、ずぶずぶと砂漠の海に入っていったのだ。
そこから1480キロ 人一人住んでいず、水一滴ない砂漠である。私たちは、道など全くない砂の海を南下して、マリのガオという村に到達しだのだが、それとほとんど同じほどの距離をほぼ東にとれば、今度の事件の現場になったイナメナスに到達するはずである。
地図上の国境ほど、サハラでは意昧のないものはない。サハラは「そこを自己責任において行く人間なら誰でも通ったがいいさ」という顔をする。
国境には、それを示すいかなる構造物も標識もないのだから、マリ領に入ってたっぷり100キロほど離れたテサリットという村で、私たちは初めてマリ側の入国管理官によって入国手続きをしたのだ。
何もない空漠たる土地が砂漠だと、私たちは思いがちである。しかし砂漠とは「空っぽ」の状態を示す空間ではなく、むしろ打ち捨てられたというべき場所だ。
それは人間か決して足を踏み入れたことのない荒涼たる広がりではなく、むしろ人間が今まで始祖となることができなかった世界なのだ、という記録を読んだこともある。
1983年、サハラを脱けた後で、私は自著『砂漠・この神の土地』の最後に書いている。
一度あの厳しい砂漠の静寂に包まれ、半円の天空に散らばった星座が、ただ自分のためだけに、壮麗な天蓋を自分の頭上にかかげてくれていると感じた者は、もう二度とまともな感覚には戻れない、ということだ。
そういう人々は、たとえ都会の喧騒の只中で人間の規約に従順に従っているように見えても、心のどこかで逃げていく場所を知ってしまっている。
それは、その人にとってたった一人の場所、一人で生きていく場所、一人で死んでいく場所なのだ。それは神の声に満ち、人々の魂の永遠の合唱の聞こえるところであり、人間の肉体が一粒の砂に音もなく帰するところである。
それは、この上なく透明な月光に照らされながら、この地上から永遠へと繋がっていて、もはやその繋ぎ目も明らかではないという場所である。
私はその壮大な明晰と不透明を、ともに愛した。人間が乾いたまま受諾されることと拒絶されることをともに味わった。もうそれで言うことはない。
彼らが眺めた砂漠の聖なる静寂と、異様な壮麗とは、そのようなものだったはずだ』
そこは確かに「神の領域」なのであろう。 灼熱と静謐の砂漠の大地で展開されるグローバル事業は、砂漠の民たちにとっては、神の創造の大地を破壊し、身代金テロ事件まで誘発する悪業なのかもしれない。
地下資源開発による、時代の行き先、文明の将来には、自然破壊、環境破壊のツケが待ち構えている。
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
我らがこの地球は、広遠な宇宙空間に浮いている。支えいるものはない。自転をしながら太陽の周りを公転する。南北の地軸の傾きは23.5度で、季節の移り変わりに密接に関わっているという。
24時間周期で回転する地球、時速10万キロのスピードで太陽の周りを回る。遊園地の回転遊技台に乗れば、遠心力は感じるが、地球上の人間は、遠心力も回転も、そのスピードも感じない。
何故なのだろうか。 この「何故」は解明されていないと聞く。神の領域なのであろう。
人間をはじめ生物の驚異の仕組みを作ったのも、天地創造の神であろうか。 アポロ計画で宇宙より帰還した飛行士たちは、神の存在を確信したという。
地軸と季節の変化
地軸の傾きが日常生活に最も関連するのは季節の移り変わりだろう。地軸が傾いていることから、夏季には日が高く昇り、昼の時間が長く、冬季には日が低く、昼が短い。単位面積当たりの太陽エネルギーの照射量と日照時間とが変化することで、季節が生じる。北緯23.43度(23度26分)を走る北回帰線上では、1年に1度、夏至に太陽の南中高度が90度になる。
これも地軸の傾きによる。逆に90−23.43の北緯66.56度(66度33分)の北極圏では、夏至に太陽が沈まず(白夜)、冬至に日が昇らない。なお、南半球では暦と季節との対応が反対(6月は冬、12月は夏)となるため、南回帰線上では12月の冬至(現地の夏)に太陽の南中高度が90度となり、南極圏では冬至を含む12月前後(現地の夏)に白夜となる。(Wikipedia引用)
神の創った命に磨きをかける日本人が、先人たちから受け継いできだ特質があるという。
「真面目さ、正確さ、早さ、責任感」、この特質がビジネスにおいて、世界の信頼を得ている、と言うのは、
グローバル企業、日揮グループ代表 重久吉弘氏である。入社以来60年余り、常に時代を見つめ、次に進むべき道を模索してきたと言う。
この人間力で、世界の国際舞台でプラント事業を展開してきた日揮。
「砂漠のボス」、「砂漠の太陽」と慕われる、高橋直夫、日揮のプラント建設現場所長は、「誰よりも、できると信じる」という強い信念を持ち続けてきたと言う。
日揮には、さまざまな国の社員がいる。国境もない。労働組合もない。社員、経営者、現場技術者、一体のグローバル企業である。
仕事柄、 重久吉弘代表は、安倍首相のトップセールスに同行し、数々の世界の要人との交渉の場に立ち会ってきた。間近に見る安倍首相の交渉力、話術は一級品であるとも言う。
日揮、アルジェリア人質事件に寄せて、曽野綾子氏、『砂漠・この神の土地』からの引用記事がある。
曽野綾子氏の「透明な歳月の光」 砂漠という「神の土地」~サハラ縦断の思い出~(産経新聞1月30日)
2013/1/30(水) 午前 8:50
『10人の日揮の社員らが犠牲になったアルジェリアの南東部に、私は行ったことがないのだが、たやすく想像はできる。もう30年も前の話だが、私はサハラをラリーではなく縦断したからだ。
2台の国産の四輪駆動車で、アルジェリアの南部のレガンヌの村からサハラ砂漠に入るとき、私は話に聞いたことのある 「入水して死ぬ」人を思い出していた。
自殺しようとして海に入っていく人と同じに、自動車は舗装道路を突如として離れると、ずぶずぶと砂漠の海に入っていったのだ。
そこから1480キロ 人一人住んでいず、水一滴ない砂漠である。私たちは、道など全くない砂の海を南下して、マリのガオという村に到達しだのだが、それとほとんど同じほどの距離をほぼ東にとれば、今度の事件の現場になったイナメナスに到達するはずである。
地図上の国境ほど、サハラでは意昧のないものはない。サハラは「そこを自己責任において行く人間なら誰でも通ったがいいさ」という顔をする。
国境には、それを示すいかなる構造物も標識もないのだから、マリ領に入ってたっぷり100キロほど離れたテサリットという村で、私たちは初めてマリ側の入国管理官によって入国手続きをしたのだ。
何もない空漠たる土地が砂漠だと、私たちは思いがちである。しかし砂漠とは「空っぽ」の状態を示す空間ではなく、むしろ打ち捨てられたというべき場所だ。
それは人間か決して足を踏み入れたことのない荒涼たる広がりではなく、むしろ人間が今まで始祖となることができなかった世界なのだ、という記録を読んだこともある。
1983年、サハラを脱けた後で、私は自著『砂漠・この神の土地』の最後に書いている。
一度あの厳しい砂漠の静寂に包まれ、半円の天空に散らばった星座が、ただ自分のためだけに、壮麗な天蓋を自分の頭上にかかげてくれていると感じた者は、もう二度とまともな感覚には戻れない、ということだ。
そういう人々は、たとえ都会の喧騒の只中で人間の規約に従順に従っているように見えても、心のどこかで逃げていく場所を知ってしまっている。
それは、その人にとってたった一人の場所、一人で生きていく場所、一人で死んでいく場所なのだ。それは神の声に満ち、人々の魂の永遠の合唱の聞こえるところであり、人間の肉体が一粒の砂に音もなく帰するところである。
それは、この上なく透明な月光に照らされながら、この地上から永遠へと繋がっていて、もはやその繋ぎ目も明らかではないという場所である。
私はその壮大な明晰と不透明を、ともに愛した。人間が乾いたまま受諾されることと拒絶されることをともに味わった。もうそれで言うことはない。
彼らが眺めた砂漠の聖なる静寂と、異様な壮麗とは、そのようなものだったはずだ』
そこは確かに「神の領域」なのであろう。 灼熱と静謐の砂漠の大地で展開されるグローバル事業は、砂漠の民たちにとっては、神の創造の大地を破壊し、身代金テロ事件まで誘発する悪業なのかもしれない。
地下資源開発による、時代の行き先、文明の将来には、自然破壊、環境破壊のツケが待ち構えている。
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