ラダ・ビノード・パール博士の顕彰碑 [国際]
産経抄
引用記事全文
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131201/edc13120103090000-n1.htm
三島由紀夫氏は、インドは驚異の国、と言った。インドを源流としたものは多い。仏教、将棋、囲碁はインドから中国を経て日本に伝えられたという。
靖国神社、遊就館前に、ラダ・ビノード・パール博士の肖像画とパール判決書の結びの言葉を刻んだ顕彰碑が建てられている。
「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」
ラダ・ビノード・パール
パール判事の主張は以下の瀬島龍三氏の「日本の証言」の中で引用されている。
「東京裁判は、勝利者の敗者に対する制裁である。国際法に則った裁判ではない。日本が戦争に踏み切ったのは、侵略のためではなく、(独断的な現状維持)政策をとる西洋諸国によって挑発されたためであり、東京裁判は(正義の実現ではなく勝利者による復讐)である。」
伊藤忠会長であった、故瀬島隆三氏は、パール判事同様、あの戦争は侵略戦争ではなく、自衛の戦争であったと言った。
この見解は、「日本の証言」の中で述べられたものだ。しかしこれは戦勝国側の圧倒的正義の前には通用しない。中国、韓国は、侵略戦争と断罪し、首相や閣僚の靖国参拝を攻撃する。
過去の誤った歴史認識を謝罪せよと言い、日本の侵略戦争を執拗に攻撃する。 特に、靖国神社及び遊就館を目の敵にする。
靖国神社は、先の大戦で、はからずも命を落とした英霊と不戦の誓いのために参拝するもので、他国からとやかく干渉されるものではない筈。
中国は、尖閣諸島は、日本が中国から盗んだ、と言い、防空識別圏の設定を一方的に正当化する。韓国は竹島を韓国領だと主張し、日本海は、「東海」であるという。
中韓からの横暴な難癖は、国際法上から見て、正当性があるのかどうか、黙っている手はない。日本は自国の見解を世界に向けて強力に発信しているのだろうか。
中国も韓国も自国の歴史を改ざんし、史実を捻じ曲げた南京大虐殺や慰安婦問題で反日をあおる。 習近平政権は、国内問題である、格差や少数民族のテロ等を抑え込むため、政権の正当性は、反日の上にしか成り立たないのであろうか。
ロバート・フルカム著 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」の中に、以下の「インド人から聞いた話」がある。
『V・P・メノン、第二次世界大戦後、インドがイギリスからの独立を目指していた時代の指導的な政治家、インドに自由を実現した立志伝中の人物である。
十二人兄弟の長男だったメノンは、十三で学校をやめ、日雇労働者、炭鉱夫、職工、行商人、教員と職業を転々とした。
メノンには二つの忘れがたい、際立った特徴があった。恬然とした公正な決断の速さと、他者に対する深い思いやりである。
政府に職を求めてデリーにやってきたメノンは、停車場で有り金と身分証明書ごと荷物を盗まれてしまった。
このままでは、失意のうちに歩いて国へ帰るしかない。
藁をも掴む思いで、彼は行きずりのシーク教徒に事情を話し、身の置き所が決まるまで当座の間に合わせにと、十五ルピーの金を無心した。
シーク教徒はその金を用立てた。後の返済のためにと、メノンが住まいを訪ねると、老シーク教徒は、期限は生涯として、見知らぬ困窮者が助けを求めてきたらその者に返すようにと言った。
行きずりの他人に借りたものは行きずりの他人に返せということだった。
メノンはそのことを決して忘れなかった。命の綱の十五ルピーもさることながら、彼は貴重な信用を供与されたのだ。
彼の娘の話によれば、メノンの死の前日、彼の家に一人の乞食が現れて、足にまめができて難儀しているので、新しいサンダルを買う金を恵んで欲しいと言った。
メノンは娘に、財布から十五ルピー出してその男に渡すように言いつけた。 それがメノンの意識が確かな最後の行為だった』
「他者に対する深い思いやり」は、家族、社会、特に国家に於いては、国際社会での共存共栄のために忘れてはならない礼儀ではなかろうか。
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
インド代表の東京裁判判事として、日本人被告全員の無罪を主張したことで知られるパール博士は、裁判後の昭和27年にも来日している。このとき日本の教科書を見て嘆いたという。「日本は侵略戦争を行った」と書かれていたからである。
引用記事全文
http://sankei.jp.msn.com/life/news/131201/edc13120103090000-n1.htm
三島由紀夫氏は、インドは驚異の国、と言った。インドを源流としたものは多い。仏教、将棋、囲碁はインドから中国を経て日本に伝えられたという。
靖国神社、遊就館前に、ラダ・ビノード・パール博士の肖像画とパール判決書の結びの言葉を刻んだ顕彰碑が建てられている。
「時が熱狂と偏見をやわらげた暁には
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には
その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら
過去の賞罰の多くにそのところを変えることを要求するであろう」
ラダ・ビノード・パール
パール判事の主張は以下の瀬島龍三氏の「日本の証言」の中で引用されている。
「東京裁判は、勝利者の敗者に対する制裁である。国際法に則った裁判ではない。日本が戦争に踏み切ったのは、侵略のためではなく、(独断的な現状維持)政策をとる西洋諸国によって挑発されたためであり、東京裁判は(正義の実現ではなく勝利者による復讐)である。」
伊藤忠会長であった、故瀬島隆三氏は、パール判事同様、あの戦争は侵略戦争ではなく、自衛の戦争であったと言った。
この見解は、「日本の証言」の中で述べられたものだ。しかしこれは戦勝国側の圧倒的正義の前には通用しない。中国、韓国は、侵略戦争と断罪し、首相や閣僚の靖国参拝を攻撃する。
過去の誤った歴史認識を謝罪せよと言い、日本の侵略戦争を執拗に攻撃する。 特に、靖国神社及び遊就館を目の敵にする。
靖国神社は、先の大戦で、はからずも命を落とした英霊と不戦の誓いのために参拝するもので、他国からとやかく干渉されるものではない筈。
中国は、尖閣諸島は、日本が中国から盗んだ、と言い、防空識別圏の設定を一方的に正当化する。韓国は竹島を韓国領だと主張し、日本海は、「東海」であるという。
中韓からの横暴な難癖は、国際法上から見て、正当性があるのかどうか、黙っている手はない。日本は自国の見解を世界に向けて強力に発信しているのだろうか。
中国も韓国も自国の歴史を改ざんし、史実を捻じ曲げた南京大虐殺や慰安婦問題で反日をあおる。 習近平政権は、国内問題である、格差や少数民族のテロ等を抑え込むため、政権の正当性は、反日の上にしか成り立たないのであろうか。
ロバート・フルカム著 「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」の中に、以下の「インド人から聞いた話」がある。
『V・P・メノン、第二次世界大戦後、インドがイギリスからの独立を目指していた時代の指導的な政治家、インドに自由を実現した立志伝中の人物である。
十二人兄弟の長男だったメノンは、十三で学校をやめ、日雇労働者、炭鉱夫、職工、行商人、教員と職業を転々とした。
メノンには二つの忘れがたい、際立った特徴があった。恬然とした公正な決断の速さと、他者に対する深い思いやりである。
政府に職を求めてデリーにやってきたメノンは、停車場で有り金と身分証明書ごと荷物を盗まれてしまった。
このままでは、失意のうちに歩いて国へ帰るしかない。
藁をも掴む思いで、彼は行きずりのシーク教徒に事情を話し、身の置き所が決まるまで当座の間に合わせにと、十五ルピーの金を無心した。
シーク教徒はその金を用立てた。後の返済のためにと、メノンが住まいを訪ねると、老シーク教徒は、期限は生涯として、見知らぬ困窮者が助けを求めてきたらその者に返すようにと言った。
行きずりの他人に借りたものは行きずりの他人に返せということだった。
メノンはそのことを決して忘れなかった。命の綱の十五ルピーもさることながら、彼は貴重な信用を供与されたのだ。
彼の娘の話によれば、メノンの死の前日、彼の家に一人の乞食が現れて、足にまめができて難儀しているので、新しいサンダルを買う金を恵んで欲しいと言った。
メノンは娘に、財布から十五ルピー出してその男に渡すように言いつけた。 それがメノンの意識が確かな最後の行為だった』
「他者に対する深い思いやり」は、家族、社会、特に国家に於いては、国際社会での共存共栄のために忘れてはならない礼儀ではなかろうか。
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