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格差、貧困の不条理 [社会]




 曽野綾子氏によれば、貧困とは、その日に食べるものがない状態を言う。アフリカでは、多くの人々がこの状態にあるという。格差と貧困とは次元の違うものだ。

 富裕層、貧困層という世界の国家の格差、社会の格差は、拡大する一方だ。米国、中国等すさまじい限りだ。


 世界の富の99%は、世界の人口の10%の富裕層が所有する。世界の人口の半数は貧困層で、世界の富の1%を分け合っていると聞く。


 「社会は必ずしも平等ではない」、と言うのと、「社会は不平等だ」、と言うのでは、天と地ほどの違いがある。


 「社会は必ずしも平等ではない」、には、社会を変えようとする意思が見える。一方、「社会は不平等だ」、には、ねたみ、やっかみ、憎悪が潜む。社会への反感は、自己のみを正当化し、悪いのは社会、国だという。


 かなり以前に、井深大氏の「この母に学ぶ」の中に、「理解されなくとも、我慢することを覚えなさい」があったことを思い出す。

 運や努力が必ずしも報われるとは限らないが、我慢を跳ね返した先に豊かな自分がある筈。現状に耐え、夢や志を実現しようとするあふれる想いに耳を傾けねばならない。

 格差なき、競争なき社会は平和ではない。切磋琢磨、戦う本能が疎外されれば、人生の面白味も、醍醐味もない。人の能力に違いがあるように、すべて平等はありえない。極論を言えば、差別こそ平等なのだ。

 しかし、「ワーキングプア」なる現象もある。寝ずに働いても豊かな人並みの生活ができない。さらにその先には「ニート」なる問題もある。これは社会の歪であろうか。国や政治が解決すべき問題かもしれない。


 紛争、貧困、格差に目を向け、自分に出来ることは何か、を問える人間は、豊かなのだ。口先だけでなく、現状打破のために、自ら身を投じる覚悟を持てる人間こそ豊かなのだ。

 マザーテレサは、一切れのパンを、自分は食べずとも、兄弟に分け与えることを、「ないものを与えなさい」と説いた。これこそ貧しさを超えた豊かさなのであろうか。

 「インドは心豊かな国、何故なら、ものをもたないからです。隣人からもらったものは隣人に与える心を持っています」、と言う。

 際限もなく「ものを持つこと」、「富を独占或いは収奪すること」、これこそ世界の紛争、格差の原点なのかもしれない。

 
 

参考図書

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