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不退転の決意とは? [政治、経済]

 民主党と消費税 「決められぬ政治」に唖然
 引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120323/plc12032303060005-n1.htm

 政治生命を賭ける、不退転の決意、これほど重い言葉を、軽々しく口から出まかせのように発する為政者たち。政治を自己中心の生活手段とでも勘違いしているとしか思えない。

 民主党政権が発する、財政再建に関する本来重い言葉は、もはや説得力もなく、色あせた空手形に成り下がった。

 もっとも、自らの軸足を国の外に置き、肚も見識も力量もない輩たちが発する言葉の末路は目に見えている。

 半端な決意では、国の明日は見えてこない。

 民主党の国家運営は、まさに国を背負う覚悟のない実現不能の約束事を並べたてたマニフェスト総崩れ、民心を踏みにじる幻想と悪夢の連続であった。

 以下、曽野綾子氏、「生の厳しさと魂の高貴さ」(3/23 産経新聞)からの抜粋である。

 
日教組の教師たちは、「人権とは要求することだ」と言い、「自分が損になることはするな。戦争中はそれによって戦争の走狗となり、現在では資本主義に奉仕することになるだけだから」と教えたのである。

 
19世紀のフランスなどの修道会は、アフリカ大陸布教を目指してほとんど失敗し、宣教師たちは次々と殺された。その時代がいいと言っているのではない。しかしヨーロッパの宣教師がアフリカで多く殺された時ほど、アフリカ宣教の志願者が多かった時代はなかったという。誰も死んではいけないのだが、自ら死を覚悟して働くような要素が全くない生ぬるい事業は、一方で必ず衰退する。不思議な成り行きである。


 「自ら死を覚悟して働くような要素が全くない生ぬるい事業は、一方で必ず衰退する」

 信仰心の薄い吾々にとって、宣教師やマザーテレサのような生き方は到底できそうにない。これこそまさに不退転の覚悟を持った生き方に違いない。頭の下がる思いである。

 国を背負う政者たちが、噛みしめるべき重い歴史の証明ではなかろうか。

 政治は公に尽くす者たちが取り組むべきものであろう。国旗国歌に反対し、国に弓を引き、自己都合と自己の名誉のためにしか働かない輩たちに、国の明日を切り開く肚の座った大仕事ができるわけがない。

 政権にしがみつく、つじつま合わせの茶番劇は、もういい加減にして欲しい。


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