真っ当な生き方、卑しい生き方 [社会]
城山三郎氏は、ライブドア、堀江元社長を、卑しい生き方と評した。
時代の寵児などと持ち上げたマスコミの罪も大きい。
コムスン、ミートホープ等全く経営者の資質を持たぬ人々が会社を
私物化し、社員や国民を欺く。資質というより、人格を持たないのだ。
企業は社会的公器であり、社会貢献が第一義なのだ。
北尾吉孝氏は「利益は正しい行いの結果でなくてはならない」と定義する。
こんな当たり前のことが実行されていない。会社は裏社会の活動ではない。
やくざ者が使う隠語「やばい」が一般社会の普通の人々が、意味を履き違えて
平然と使っている。見識を問われる。
やくざの裏社会と表の一般社会の境界がぼけてきている。
コムスン、ミートホープの経営者たちは、自らの犯した罪の大きさに全く気づく
こともなく、責任をとろうともしない。人格の欠落である。
耐震偽装を始め、企業体、自治体の不祥事はあとを絶たない。根っこは何か、
解決の道筋はあるのか。
安倍内閣の提唱する「美しい国」づくり、国家の品格が問われる。
一連の偽装事件は、国民一人ひとりの無知、無関心が生んだも等しい。
自分だけよければよい、では済まされない。
メキシコ五輪で、銅メダルのサッカーチームを育て上げたドイツ人コーチ、
デッドマール・クラマー氏の言葉がある。
「私はサッカーを好きなのではない。心から愛している。なぜならば、サッカーは少年を大人
に育て、大人を紳士に育て上げるスポーツだからだ。」
これからは、一人ひとりが高い見識を持った紳士、淑女であることを願う。