春遠からじ、新しき年に向かって思う [社会]
道徳心高める教育を推進すべし 立命館大学フェロー・加地伸行
引用記事全文
http://www.sankei.com/life/news/141229/lif1412290014-n1.html
「衣食足りて礼節を知る」は、「傍若無人」の対極にあり、礼節とは、他者への思いやり、いつくしみである。
所作にも、落ち着いた優雅な立ち居、振る舞いが、他者と融合する優しい人間の風格を漂わせる。
今は定かではないが、かって、自動車メーカーに納入した機械のメンテナンスを行うためには、事前に、安全管理の講習を受けねばならなかった。半日から一日とかなりの時間をかけた講義を受けねばならなかった。
その中で、未だに記憶に残っているのが、「道具をまたぐな」であった。この所作を懇切丁寧に工場内の怪我や事故の例をあげて説明していた。
表向きは、無造作に道具をまたぎ、つまずいて怪我をする例が多いという。しかしその心は、道具を大切にいつくしむことによって、いい仕事ができると言うものであった。
大リーグ、イチローは、人一倍、ことのほか道具の手入れに余念がないと聞くが、道具を大切にする精神が、あれほどの偉業を生みだすのかと、改めて考えさせられる。
「仁以って己が任となす、また重からずや」 曾子
孔子の弟子である曾子は、人生や人間の根幹をなすものは「仁」であると言った。 「仁」を全うすれば他者からの「信」を受けることができるという。
北尾吉孝氏は、『「仁」と言う字は、「にんべん」に「二」、すなわち人が二人と書きます。二人の関係を良好に保とうと思えば、必ず相通じる心が必要になります。相通じる心というのは、ある種の一体感です』という。
この一体感が共感、そして連帯感を生み出して行く。夫婦、家族、友を想う心が思いやりを生み、それが絆になっていくものではないかと思う。
人間の特質に、自由に「選択」をする、「貢献」をしたい、という欲求がある。この二つを拠りどころにした「奉仕」は、さわやかな人生を満たしてくれる。
人間はある「節度」を以って、「得」ではなく「徳」を積むことで豊かになる。自らのためでなく、他者に奉仕することによって、信を問はずとも、信を一身に受けることになるのであろう。
われわれは、いつも無力であった。しかし、この反省と願いを超えて、マザーテレサさんは、たった一人でインドへやって来て、祈り、行動し、世界を変えた。
ノーベル平和賞受賞者、パキスタン、マララ・ユスフザイさんは、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます」と言った。
衣食足りて礼節を知る。
止まることのない欲望と、飽食と過食の只中にあって、人間たちは、「礼節」を忘れた。 地球環境破壊、異常気象、失はれたもの、犠牲にされたものは、計り知れない。
「礼」は、自らは謙虚に、自然や他者を敬う、「節」は、やはり「足るを知ること」、そして、与えることではなかろうか。
そして、世界の明日のために、友と隣人のために出来ることが何なのか、を問いたい。この問の答えは限りなく重いが、きっと見つかることを信じたい。
今年もあとわずか。慌ただしい。
冬来りなば春遠からじ、である。
生き方の根幹にある道徳(モラル)は、志を抱くという人生の指針を垣間見せてくれる。
新しき年に向かって、生き抜くために、心の軸足と、身体の軸足をしっかりと身につけたいものだ。
今年一年、お忙しいさ中にも、いつも本ブログを応援して頂き有難うございました。
どうぞ皆様、お元気でご健闘の上、良いお年をお迎え下さい。
参考図書
何故かジャズ されどジャズ
「少年よ大志を抱け」-たったこの一言が、実は重い道徳教育になっているのである。 日本の教育の不幸は、政府の行うことを、左筋の者が常に悪く悪く解釈し悪宣伝をするところにある。モラルジレンマの訓練・討論など知らないで悪口雑言だけ。彼らにこそ道徳教育が必要だ。
引用記事全文
http://www.sankei.com/life/news/141229/lif1412290014-n1.html
「衣食足りて礼節を知る」は、「傍若無人」の対極にあり、礼節とは、他者への思いやり、いつくしみである。
所作にも、落ち着いた優雅な立ち居、振る舞いが、他者と融合する優しい人間の風格を漂わせる。
今は定かではないが、かって、自動車メーカーに納入した機械のメンテナンスを行うためには、事前に、安全管理の講習を受けねばならなかった。半日から一日とかなりの時間をかけた講義を受けねばならなかった。
その中で、未だに記憶に残っているのが、「道具をまたぐな」であった。この所作を懇切丁寧に工場内の怪我や事故の例をあげて説明していた。
表向きは、無造作に道具をまたぎ、つまずいて怪我をする例が多いという。しかしその心は、道具を大切にいつくしむことによって、いい仕事ができると言うものであった。
大リーグ、イチローは、人一倍、ことのほか道具の手入れに余念がないと聞くが、道具を大切にする精神が、あれほどの偉業を生みだすのかと、改めて考えさせられる。
「仁以って己が任となす、また重からずや」 曾子
孔子の弟子である曾子は、人生や人間の根幹をなすものは「仁」であると言った。 「仁」を全うすれば他者からの「信」を受けることができるという。
北尾吉孝氏は、『「仁」と言う字は、「にんべん」に「二」、すなわち人が二人と書きます。二人の関係を良好に保とうと思えば、必ず相通じる心が必要になります。相通じる心というのは、ある種の一体感です』という。
この一体感が共感、そして連帯感を生み出して行く。夫婦、家族、友を想う心が思いやりを生み、それが絆になっていくものではないかと思う。
人間の特質に、自由に「選択」をする、「貢献」をしたい、という欲求がある。この二つを拠りどころにした「奉仕」は、さわやかな人生を満たしてくれる。
人間はある「節度」を以って、「得」ではなく「徳」を積むことで豊かになる。自らのためでなく、他者に奉仕することによって、信を問はずとも、信を一身に受けることになるのであろう。
われわれは、いつも無力であった。しかし、この反省と願いを超えて、マザーテレサさんは、たった一人でインドへやって来て、祈り、行動し、世界を変えた。
ノーベル平和賞受賞者、パキスタン、マララ・ユスフザイさんは、「1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それで世界は変えられます」と言った。
衣食足りて礼節を知る。
止まることのない欲望と、飽食と過食の只中にあって、人間たちは、「礼節」を忘れた。 地球環境破壊、異常気象、失はれたもの、犠牲にされたものは、計り知れない。
「礼」は、自らは謙虚に、自然や他者を敬う、「節」は、やはり「足るを知ること」、そして、与えることではなかろうか。
そして、世界の明日のために、友と隣人のために出来ることが何なのか、を問いたい。この問の答えは限りなく重いが、きっと見つかることを信じたい。
今年もあとわずか。慌ただしい。
冬来りなば春遠からじ、である。
生き方の根幹にある道徳(モラル)は、志を抱くという人生の指針を垣間見せてくれる。
新しき年に向かって、生き抜くために、心の軸足と、身体の軸足をしっかりと身につけたいものだ。
今年一年、お忙しいさ中にも、いつも本ブログを応援して頂き有難うございました。
どうぞ皆様、お元気でご健闘の上、良いお年をお迎え下さい。
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