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国を守る、「本来の責務」 [政治、経済]

 産経新聞に定期的に掲載される、曽野綾子氏の「小さな親切、大きなお世話」がある。

 7/27付記事は、自衛隊の「本来の責務」で、集団的自衛権に関する曽野綾子氏の見解である。

 曽野綾子氏は、世界の僻地、紛争地など危険な世界にも出かけて行き、現場の体験を記事にすることが多い。

 平和ボケの日本に比し、世界の現実がそうでないことを知ってきたという。

 『まだ20代のころ、アメリカから中米のコスタリカまで車で走った時、アメリカ人が、「何か武器を持っているか」と尋ね、「私たちが無防備だと言うとあきれたように首を振った。自衛するのが人間の義務で常識らしかった」

 1983年、サハラ砂漠を縦断した時にも、途中で何度か、「武装しているか」と尋ねられたが、私たちは武器なしで無事に数千キロを乗り切った。

 自衛隊員の宣誓文には、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務めることを誓う」と書いてある。

 世間には「実戦になったら、自衛隊は皆逃げますよ」と言う人がいる。しかし矛盾するようだが、人は時に命に代えても守り抜くと思うことがある。動物とは違う人間の魂の証しだ。

 19世紀後半のフランスでは、アフリカ人の魂の自由のためにアフリカ宣教に赴いた若い神父たちが、次々と土地の部族に殺された。

 出発前、彼らは特別に書き込まれた3語を含む宣誓書に署名していた。

 それは「殉教を覚悟して」という言葉だった。そしてその時代ほど志願者が多かった時はなかったという』
 (以上、「自衛隊の「本来の責務」より引用)


 集団的自衛権が、朝日新聞は、戦争への道だと言い、曽野綾子氏は「自衛隊員の中から戦死者や、人を撃ち殺さねばならなくなる人とが出る、と言う論があちこちで出た」、と書く。

 しかし、世に言う有識者、専門家ほど現場を知らず、机上の虚論を繰り返し、身勝手な保身論、反対論に明け暮れ、何の解決策も示せない輩が多い。事が起きれば、彼らこそ真っ先に逃げ出す輩たちなのだ。

 この国を守るのは誰なのか、命の犠牲という代償も、覚悟もなしに反対を唱えるばかりでは、日本の明日を守るのは容易ではない。


前記事があります。よろしければどうぞ。

四枚の羽根/スーダン100年戦争、真の勇者は!


参考図書

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