戦慄すべき事態 [政治、経済]
7月1日は「名誉ある日」 大阪大教授・坂元一哉
新しい政府の憲法解釈は、国際環境が厳しさを増すなかで、わが国の抑止力を高め、平和と安全をよりよく守るとともに、憲法とその平和主義もしっかり守るものである
まず政府自身が海外派兵は許されないとしている。だがそれをおいても、海外派兵は自衛隊創設時の参議院決議が禁じるものである。国権の最高機関の意思であるこの決議が有効な限り、政府の憲法解釈がどうであれ、自衛隊の海外派兵に「道を開く」法律はつくれないだろう。
引用記事全文
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140825/plc14082503060005-n1.htm
1964年公開 フランス映画、アンドレ・カイヤット監督 アンソニー・パーキンス主演 「俺は知らない」という映画があった。
夏のリビエラ、誘拐殺人犯二人が、囚人服のまま逃亡、警察に追われ、ある灯台の中に逃げ込んだ。警察の説得の末、逃げられぬと観念した犯人が一人ずつ灯台から出てくる。ところが二人ではなく、同じような囚人服を着た三人が出てきた。
三人のうち一人は、事件と無関係とみられたが、三人ともアリバイが無く、三人の過去まで問い詰めるが関与の証拠は出てこない。巧妙な嘘なのか、何が真実なのか、犯人を特定する事が出来なかった。
三年が経過、事件は進展しなかった。陪審は犯人を確認出来ないとして三人の無罪を答申した。
「疑わしきは罰せず」、三人の無罪釈放が決まり、民衆の怒りは頂点に達した。
刑務所の門前で怒った民衆は、三人を乗せたトラック運転手を引きずり下し、トラックを焼き払った。
アンドレ・カイヤット監督は、「洪水の前」、「眼には眼を」など、社会の不条理を追求する映画を多く手掛けている。
朝日新聞の巧妙な世論操作を見るにつけ、ふと、この映画を思い起こした。
報道の自由、中立、公正、など報道者としての最低限の倫理、モラルは守られねばならない。にもかかわらず、公然と事実を捻じ曲げ、世論誘導を図る。確信犯ではないのか。
「憲法解釈を変更し、海外派兵を可能にし、戦争が出来る国にした」、「戦慄すべき事態」だと言うのが朝日の言い分である。何のことはない。中韓の言いがかりと同じなのだ。
大阪大教授・坂元一哉氏の提言を見る限り、朝日の提言より筋が通っているように見える。 しかし、これも公正な世論の判断にゆだねねばならない。
かって、朝日の第一次安倍内閣への攻撃も凄まじかった。 産経新聞は、「安倍の葬式はうちで出す」という朝日新聞 若宮論説主幹の暴言や、故三宅久之氏の以下のやり取りを紹介した。
政治評論家の故三宅久之氏は、「アサヒは安倍というといたずらに叩くけど、いいところはきちんと認めるような報道は出来ないものか」とアサヒの若宮論説主幹に問い詰めた。
若宮は、「できない」と言った。
三宅、「何故だ」
若宮 「社是だからだ」と言った。
特定の政治家を叩き、貶めることが社是である新聞社とはどんな存在なのだろうか。
大新聞ゆえの矜持と報道の公正性、中立性に疑問があり、何よりも報道に品格、節操がない。「 安倍の葬式はうちで出す」、冗談ではない。やくざの抗争と勘違いするな!である。
慰安婦、吉田証言の疑義を、20年以上放置してきた朝日新聞社長は、「歴史的事実は変へられないから、記事の取り下げのみで、謝罪の必要なし」、だと言う。
吉田証言の虚構や幻想の世界を、検証も謝罪も無く報道する報道姿勢を、どう捕らえたら良いのだろうか。
集団的自衛権や慰安婦問題で、巧妙に読者を欺くやり口は、公正ではない。
報道の事実が巧妙に捻じ曲げられ、自らの政権や国家に弓を引くような方向へ誘導しようとする魂胆があるとすれば、国家が目指す方向とは逆に、朝日が言う「戦慄すべき事態」に、世論は引き込まれるて行くのかも知れない。
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