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ナショナル・ディフェンス・フォース [政治、経済]

 防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 内と外の「二枚舌」要らぬ憲法を
 
自衛隊は国民の間では定着している。だが、国際社会ではどうか。自衛隊は国際的には「SDF(セルフ・ディフェンス・フォース)」を名乗る。他国を見れば分かるように、「F(フォース)」は「軍」であって「隊」ではない。日本国内では自衛隊は「隊」だが、「軍」であってはならない。

 結局、自衛隊もSDFも清算するほかない。では「国防」に必要な「軍(フォース)」は何と呼ばれるべきか。「国民の憲法」では「軍を保持する」と謳った。これは機能の記述であり、組織呼称ではない。呼称は将来の法律に委ねられる。「第3章 国防」、「第16条 軍の保持」に照らして「国防軍(NDF)(ナショナル・ディフェンス・フォース)」と呼ぶのが妥当だろう。

 引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130531/plc13053103150004-n1.htm

 かって、三島由紀夫は、「戦わず、卑怯な命乞いをして生き延びる大義なき国」を糾弾した。

 国家という立ち位置の中心軸がずれているものを徹底して排除した。

 戦勝国、敗戦国の正義は多様である。三島は、憲法第9条は「敗戦国日本の戦勝国への詫証文」であると断じ、自らの命と引き換えに三島の改憲論、自衛隊論を世に問うた。

 これは、いつか来た道へ帰る事では決してない。時代を越えて世界の友との連帯を通して、国を守るということではなかろうか。

 

 国を守るということでは、吉田所長は、まさに命がけで、自己の職責の任務を全うした。健在であれば、当然国会で海水注入の真実を証言されたと思う。本来の潔い日本男子であった。

 投票の際は吉田元所長の姿思い出して
 
福島第1原発の吉田昌郎元所長が亡くなった。病魔に侵されながら事故に立ち向かい、その完全収束も見ぬまま…という無念さは察するにあまりある。原発事故に対する東電の責任が重大であるのは言うまでもない。一社員として、その責任を果たすべく、日本が初めて経験する原発事故にわが命を削りながら立ち向かったのである。

 
責任を全うしようとした人物が倒れ、国家の責任を担う資格もなかったアホやペテン師がいまだのうのうとしとるんや。

 引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130718/plc13071808390002-n1.htm


 評論家・屋山太郎 韓国よ、「歴史の真実」に目覚めよ
 
民主党の菅直人政権下、中国漁船が日本の巡視船に体当たりしたビデオを公開せずに、船長らを早々に特別便で帰国させた。これは胡錦濤国家主席の訪日を実現させるためだったことが後に判明した。菅首相がへつらうかのように「胡閣下」に口上を述べるテレビ画像は全国民が目にしただろう。この卑下した態度こそ、戦後の日本が中韓両国に取ってきた外交姿勢だった

 引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130717/plc13071703130003-n1.htm

 この対談で、菅首相は、用意された原稿を読み上げるだけで、顔をあげて胡主席の顔を見ることはできなかった。 

 胡錦濤主席の薄笑いにも見える見下すような態度が印象に残った。

 これが日本の首相なのか、と日本中が目を疑った瞬間であった。

 菅直人、市民運動家を掲げ、北朝鮮、連合赤軍と密着する「市民の党」と30年にわたり結託し、前総理時代は「国のかたち研究会」などで、まさに国に弓を引くような活動を画策した。

 菅直人をはじめ、国旗国歌を否定し、3年余の間、国際信用と国益を損ない続けた前民主党政権、恥を知れ!である。


 大妻女子大学は「恥を知れ」を校訓とする。これこそ日本人が失いかけた心構えであろうか。  

 
校訓 「恥を知れ」 大正6年3月に校訓として制定された「恥を知れ」は、もともと大妻家の家訓でありました。 大妻コタカは、この「恥を知れ」について「これは決して他人に対してではなく、あくまでも自分に対して言うことである。」と自律のための謂(い)であることを強調していました。この校訓の意味するところは、「汝自身を知れ」ということでもあり、高次な人間存在の理念に照らして自らを省みる「自己の至らなさを恥じよ」と言う意味でもあるのです。


 大妻女子大学ホームページより引用。
 http://www.gakuin.otsuma.ac.jp/academy/school_tradition.html


 
 Youtube 動画再生 青山繁晴 吉田所長との逸話
 http://youtu.be/L1A7BWuhmQs
 
 今度は菅元首相が…民主の“お騒がせ”もここに極まれり
  引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130718/plc13071814220006-n2.htm

 吉田所長闘病中、お見舞いにも行かず、メールも出さずと聞く。海水注入の真実が聞かれない今になって、何故訴訟なのか。菅直人の本性見えたり、である。 自ら墓穴を掘ったのかもしれない。


 
参考図書

 
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