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ゼロ、この悩ましき世界 [政治、経済]

 ゼロ、この悩ましき数。人類に与えられた最大の難問、「神は存在するか」の問いの前に立ちはだかった神秘の数である。

 立命館大教授・加地伸行 ゼロにゼロを足すだけ
 
けれども、出てくることばは、いつも「しっかりと」であり「政治生命を賭(か)ける」だけである。  同語反復という内容空虚なことばをいくら重ねても、ゼロにゼロを足すだけのこと。

 引用記事全文
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120624/plc12062403030001-n1.htm

 
 「ゼロにゼロを足すだけのこと」、 これは不毛の世界。信なき、礼なき世界なのだ。

 コンピューターはデジタル思考の世界で、0と1の2進法による高速演算で成立する。この場合のゼロは、確実に存在する「無」(ない)である。しかし、0と1の間には何も存在しない。

 日本仏教には「無」という概念がある。「無」という概念は「空」にも通じる。無は、有の反対表現で、空はうつろで実体がないことを言う。

 日本仏教の根本命題は、「空、縁起、無常」で、自己よりも他者の救済を究極の目標とする。自己とは実体がなく(空)、他者とのかかわりの中で(縁起)、常に移ろいゆく(無常)、ものとする。

 自己とは、時の移ろいと他者とのかかわりの中で、ある時は「有」、ある時は「無」なのだ。

 囲碁、将棋、スポーツ等、大勝負の大局を制するものは、自己の私利、私欲を超えた「無心」であるという。

 政治に携わる者、国を預かる者たちは、公をわきまえ、虚心坦懐、無心でなければならない。自己を捨て去り、超えた彼方に、他者、国民のために尽すという「礼」が生まれるのかも知れない。


 生命は

 「花が咲いている

 すぐ近くまで

 虻の姿をした他者が

 光をまとって飛んできている

 私も あるとき

 誰かのための虻だったろう

 あなたも あるとき

 私のための風だったかもしれない」

 吉野 弘さんの「生命は」の一節である。

 「世界は多分 他者の総和」 「生命は、自分自身だけでは完結できないように、つくられているらしい」 吉野 弘さんの慧眼である。

 「礼」とは、まさに他者を前にして、自己を「無」にした先にある「礼儀」なのだ。民主党の面々は、総理をはじめ礼を欠く不遜な輩たちが多い。彼らには、他者のために働くという存在理由は無いのかも知れない。

 信なき不毛の世界で、虚しい言葉を踊らせる野田政権、この3年間、莫大な血税を無駄に使い、失われた国益と民心を取り戻すことは出来ない。もう茶番劇は幕引きにして、一刻も早い退場を願う。 



 壮大なる夢、宇宙の揺らぎの彼方へ



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