自衛の戦争 [政治、経済]
[産経抄]
マッカーサーは5年7カ月に及ぶ在任中、いわゆる戦犯の摘発や押しつけ的な新憲法制定で強権をふるった。だが多くの日本人には戦前の指導者を成敗する「正義の人」と映った。米国流の民主主義や平和主義を教えてくれた「恩人」に思えたのだろう。 ▼そんな熱が冷めやらぬ中、マッカーサーは米上院で証言する。日本が米国と戦った理由として、連合国側の経済封鎖などをあげ「主に自衛のためだった」と述べたのだ。日本を断罪してきた人の発言だけに新鮮に聞こえた。だが日本で取り上げられることはほとんどなかった。
日本の戦争は侵略のためだけだったと思いたい「自虐史観」の持ち主には、受け入れがたい見解だからだ。ところがそのマッカーサー発言が61年ぶりに、東京都立高校の地理歴史教材に掲載される。正式な教科書ではないが、画期的といってもいい。
引用記事全文
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120401/edc12040103100000-n1.htm
終戦一か月後、マッカーサーを訪ねた天皇陛下は、天皇家の全財産と自らの命を差出し、私の命より、何よりも国民の救済をお願いしたという。
このやり取りの中で、マッカーサーは、天皇陛下は、最高の紳士であると認め合ったと言います。
昭和の名参謀と言われた瀬島龍三氏は、一貫してあの戦争は「自衛のための戦争」だと言った。
生前、NHKの週間ブックに出演され、決戦なら分かるが、決算の棚卸しは分からない、棚からモノを下ろしてどうするのだろう、と、冗談交じりに答えていた笑顔が浮かぶ。
太平洋戦争には、陸軍の軍事作戦参謀として従軍、戦後ソ連に抑留された。シベリア抑留 時代には、東京裁判証人としてソ連より一時帰国、出廷した。
Wikipediaによれば、「ソ連側より日本への帰還の取引条件として極東国際軍事裁判で天皇の戦争責任を証言するように求められるが断固拒否した」という。
1956年、帰還後は、伊藤忠商事に参加、伊藤忠会長まで勤め、名参謀、名経営者でもあった。
91歳の人生論で、日野原重明先生と対談された。瀬島さんは残念ながら95歳で逝かれた。日野原先生は現在、100歳、お元気で世界を飛び回っている。
座右の銘は、男も女も、それぞれの本分を尽くすのが使命と言われていた。
昭和の巨人は、2007年、95歳で天寿を全う、本分を尽くし、安らかに眠りについた。 ご冥福をお祈りいたします。 合掌!
参考図書
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