「天かける詩人」サンテグジュペリ 再び! [社会]
【次代への名言】6月29日 アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ
2009・6・29 産経新聞 【次代への名言】より引用
鳥の眼、虫の眼、ということがある。
司馬遼太郎の俯瞰の眼と、松本清張の地を這う点眼の眼である。サンテグジュペリはまさに大空から俯瞰の眼で、星を、地球を、そして人間を見つめた作家であった。
第二次大戦中、自ら志願兵となったサンテグジュペリに対し、敵味方を超えて彼のメッセージに対する共感が集まった。出来れば、彼とは戦いたくない、というドイツ人兵士が多かったという。
箱根、仙石原に「星の王子さまミュージアム」がある。
夜間飛行、人間の土地、星の王子さま等の名作を残したアントワーヌ・ド・サンテグジュペリは、フランス人が最も尊敬する作家だという。
星の王子さま/サンテグジュペリは、第二次大戦中、郵便偵察機のパイロットとして祖国への献身的な任務を担っていた。
彼は1943年5月、愛する妻、コンセーロのもとを去り、偵察飛行のため、ドイツ最前線へ飛び立った。
「一人の人間として存在するために、任務を引き受けねばならない。
僕は戦争に行く。僕は死ぬために出発するのではない。 平和や、僕が愛するもののために銃弾を浴びに行く。 誠実、純真、忠実、心のこもった仕事を守るために」
1944年7月、偵察飛行へ飛び立ったまま彼はふたたび帰還することはなかった。
愛するもの、仕事、国家、彼が命を懸けて守ろうとした崇高な精神に万感の想いである。
「南方郵便機」の中で、大空からジュヌヴィエーヴにあてた叙事詩「ぼくは泉を見つけ出した。おぼえているかい?それはジュヌヴィエーヴだ」は読む者の胸を打つ。
命と引き換えに 愛するものたちを守ろうとした献身と犠牲の精神は、時代を越えて、今も生き続けている筈である。
以下、Wikipediaより、彼の最後の出撃と撃墜の様子である。
『1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル・シャンベリー・アヌシーを写真偵察のため、単座双発双胴のロッキード F-5B(戦闘機 P-38 ライトニングの偵察機型) を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃、消息を絶った。最終階級は少佐。
サン=テグジュペリの未帰還・行方不明の報は、無線を傍受していたと思われるドイツ空軍にも伝わり、彼らも独自に捜索を開始した。サン=テグジュペリの存在は、国境・民族を越えて、空に憧れを抱く当時の若者にとって、それほどまでにかけがえのないものだった。
2008年3月15日付La Provence(電子版)に、当時Bf109戦闘機のパイロットだった、ホルスト・リッパート曹長がサン=テグジュペリの偵察機を撃墜したとする証言が公開された。彼自身もサン=テグジュペリ作品の愛読者だといい「長い間、あの操縦士が彼では無い事を願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」と話していた』
人をつき動かすものは、正義や力ではないかも知れない。限りない人間への共感、友情、連帯が人を動かすのであろうか。
正義は戦うことを要求する。選択することを要求する。正義の多様性を前にするとき、「出来れば、彼とは戦いたくない」、サンテクジュペリが発散するあふれる人間味に大いなる共感が集まった。
近頃聞かれなくなった言葉、ヒューマニズムの香り高き詩人であった。
参考書籍
何故かジャズ されどジャズ
「心だけが、正しくものを見ることができるのさ。本当に大切なものは目には見えないんだよ」(『星の王子さま』 アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ) きょうは、人種や老若男女を問わず、世界で幅広く愛読されている作家、サンテグジュペリの誕生日。彼は、1900(明治33)年、フランス中東部リヨンの伯爵家に産声をあげた。 「天翔る詩人」とでもいうべきだろうか。「心の奥で、人知れぬ友情に結ばれていた」という人間群像を描いた『夜間飛行』(引用は新潮文庫から)。「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創(つく)られる」という印象的な一文で結ばれる回想録『人間の土地』(同)。彼の作品は多く、もう一つの本職であった航空パイロットの視点から、愛と冒険、生と死がつづられている。
2009・6・29 産経新聞 【次代への名言】より引用
鳥の眼、虫の眼、ということがある。
司馬遼太郎の俯瞰の眼と、松本清張の地を這う点眼の眼である。サンテグジュペリはまさに大空から俯瞰の眼で、星を、地球を、そして人間を見つめた作家であった。
第二次大戦中、自ら志願兵となったサンテグジュペリに対し、敵味方を超えて彼のメッセージに対する共感が集まった。出来れば、彼とは戦いたくない、というドイツ人兵士が多かったという。
箱根、仙石原に「星の王子さまミュージアム」がある。
夜間飛行、人間の土地、星の王子さま等の名作を残したアントワーヌ・ド・サンテグジュペリは、フランス人が最も尊敬する作家だという。
星の王子さま/サンテグジュペリは、第二次大戦中、郵便偵察機のパイロットとして祖国への献身的な任務を担っていた。
彼は1943年5月、愛する妻、コンセーロのもとを去り、偵察飛行のため、ドイツ最前線へ飛び立った。
「一人の人間として存在するために、任務を引き受けねばならない。
僕は戦争に行く。僕は死ぬために出発するのではない。 平和や、僕が愛するもののために銃弾を浴びに行く。 誠実、純真、忠実、心のこもった仕事を守るために」
1944年7月、偵察飛行へ飛び立ったまま彼はふたたび帰還することはなかった。
愛するもの、仕事、国家、彼が命を懸けて守ろうとした崇高な精神に万感の想いである。
「南方郵便機」の中で、大空からジュヌヴィエーヴにあてた叙事詩「ぼくは泉を見つけ出した。おぼえているかい?それはジュヌヴィエーヴだ」は読む者の胸を打つ。
命と引き換えに 愛するものたちを守ろうとした献身と犠牲の精神は、時代を越えて、今も生き続けている筈である。
以下、Wikipediaより、彼の最後の出撃と撃墜の様子である。
『1944年7月31日、フランス内陸部グルノーブル・シャンベリー・アヌシーを写真偵察のため、単座双発双胴のロッキード F-5B(戦闘機 P-38 ライトニングの偵察機型) を駆ってボルゴ飛行場から単機で出撃、消息を絶った。最終階級は少佐。
サン=テグジュペリの未帰還・行方不明の報は、無線を傍受していたと思われるドイツ空軍にも伝わり、彼らも独自に捜索を開始した。サン=テグジュペリの存在は、国境・民族を越えて、空に憧れを抱く当時の若者にとって、それほどまでにかけがえのないものだった。
2008年3月15日付La Provence(電子版)に、当時Bf109戦闘機のパイロットだった、ホルスト・リッパート曹長がサン=テグジュペリの偵察機を撃墜したとする証言が公開された。彼自身もサン=テグジュペリ作品の愛読者だといい「長い間、あの操縦士が彼では無い事を願い続けた。彼だと知っていたら撃たなかった」と話していた』
人をつき動かすものは、正義や力ではないかも知れない。限りない人間への共感、友情、連帯が人を動かすのであろうか。
正義は戦うことを要求する。選択することを要求する。正義の多様性を前にするとき、「出来れば、彼とは戦いたくない」、サンテクジュペリが発散するあふれる人間味に大いなる共感が集まった。
近頃聞かれなくなった言葉、ヒューマニズムの香り高き詩人であった。
参考書籍
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